2013年 04月 29日
イタリアに学ぶ |
最近読んだ本を紹介します。
2004年発行なので、書店には置いてないかも知れません。
図書館で見つけました。
写真が豊富に掲載されていてマニアな人には堪らないと思いますが、
特にオタクではない私には、もうひとつの経済視点からの論評が非常にわかりやすいので
その内容を大雑多にまとめてみました。
イタリアと日本の経済環境はとても似ている。
高齢化と少子化が進み、財政と年金が破綻している。首相がコロコロ変わって、贈収賄が横行する。
イタリアには大企業がほとんどない。フィアットとオリベッティぐらいで、残りは全部中小企業である。
イタリアの企業は多くが家族経営で規模が小さく、それぞれ個性的な経営を貫いている。大きなビジネスをする時は中小企業が集まってジョイントベンチャーを作る。それを仕切る人を「プロジェティスタ」といい、プロジェティスタには卓越した感性が求められる。こういうビジネスをイタリアは手がけている。
日本の産業組織もイタリアと同じで、無数の中小企業が存在して、それぞれが創意工夫して新しい商品を作っていた。
ところがバブル崩壊以降、日本は明らかに産業政策を転換し、コスト競争力の強い大企業を作るという「構造改革」の考え方を取り入れた。
この結果、国民の多くが働く中小企業はすっかり荒廃してしまったのである。
そのことが日本の雇用を減らし、個性を持った商品も減らしてしまった。
その点イタリアは国内での雇用や製造をずっと守り続けるという経済戦略を取っている。かつては日本もそうであったが、今では銀行、生命保険、証券会社から始まってホテルや流通などあらゆる分野で外資系支配が進んでいる。大手自動車メーカーも純粋の国内企業はトヨタとホンダしかなくなってしまった。
どこの国のメーカーだって本来なら国内製造にこだわりたいけれど、現実には価格競争に敗れて外資に支配されるか中国に製造委託をしてコストを抜本的に下げる以外に生き残る方法がなくなってしまっている。
イタリアのものづくりの素晴らしいところは感性を最優先することにある。例えば自動倉庫とか経理だとか感性の表現に関わらないところには積極的にIT投資を進めている。その代わり自分たちの感性に関わる部分は絶対に他国に任せない。
そうした優れた感性を生かして高付加価値を獲得するという戦略はすべての産業に当てはまっている。ファッションや香水、化粧品、時計、自動車、家具、工芸品など。それがイタリアビジネスの基本なのだ。
結局、国の産業力を大きく左右するのは、感性が生み出す付加価値であり、そしてもっともキャッチアップの難しいのが感性なのである。
感性は弱肉強食の市場原理からは生まれない。
もともと明治中期ぐらいまでの日本は、絹織物や蒔絵、浮世絵や陶器といった日本独自の文化を持っていた。ところが20世紀に入った頃から西洋化が激しくなり日本人が本来持っていた文化や感性が失われていった。だから単に元に戻ればいいのだ。日本人はイタリア人にはなれないけれど、世界に通用する感性を本来持ってるのだ。そしてそれを生かすような産業を考えればいいのだ。
環境に優しいとか最新のIT技術を搭載という機能的な付加価値もよいが、やはり大切なのは我々を惹きつけるデザインやスタイルであり、作り手の感性が感じられるもの自体の佇まいではないだろうか。
うんうん、非常に理路整然としていて共感できます。
新技術はマネされるのも早く、最後は労働力の安い国に流れ価格競争になりますが
キャッチアップ(追いつく)されにくい感性で勝負することが
日本のビジョンになるといいですね。
2004年発行なので、書店には置いてないかも知れません。
図書館で見つけました。
特にオタクではない私には、もうひとつの経済視点からの論評が非常にわかりやすいので
その内容を大雑多にまとめてみました。
イタリアと日本の経済環境はとても似ている。
高齢化と少子化が進み、財政と年金が破綻している。首相がコロコロ変わって、贈収賄が横行する。
イタリアには大企業がほとんどない。フィアットとオリベッティぐらいで、残りは全部中小企業である。
イタリアの企業は多くが家族経営で規模が小さく、それぞれ個性的な経営を貫いている。大きなビジネスをする時は中小企業が集まってジョイントベンチャーを作る。それを仕切る人を「プロジェティスタ」といい、プロジェティスタには卓越した感性が求められる。こういうビジネスをイタリアは手がけている。
日本の産業組織もイタリアと同じで、無数の中小企業が存在して、それぞれが創意工夫して新しい商品を作っていた。
ところがバブル崩壊以降、日本は明らかに産業政策を転換し、コスト競争力の強い大企業を作るという「構造改革」の考え方を取り入れた。
この結果、国民の多くが働く中小企業はすっかり荒廃してしまったのである。
そのことが日本の雇用を減らし、個性を持った商品も減らしてしまった。
その点イタリアは国内での雇用や製造をずっと守り続けるという経済戦略を取っている。かつては日本もそうであったが、今では銀行、生命保険、証券会社から始まってホテルや流通などあらゆる分野で外資系支配が進んでいる。大手自動車メーカーも純粋の国内企業はトヨタとホンダしかなくなってしまった。
どこの国のメーカーだって本来なら国内製造にこだわりたいけれど、現実には価格競争に敗れて外資に支配されるか中国に製造委託をしてコストを抜本的に下げる以外に生き残る方法がなくなってしまっている。
イタリアのものづくりの素晴らしいところは感性を最優先することにある。例えば自動倉庫とか経理だとか感性の表現に関わらないところには積極的にIT投資を進めている。その代わり自分たちの感性に関わる部分は絶対に他国に任せない。
そうした優れた感性を生かして高付加価値を獲得するという戦略はすべての産業に当てはまっている。ファッションや香水、化粧品、時計、自動車、家具、工芸品など。それがイタリアビジネスの基本なのだ。
結局、国の産業力を大きく左右するのは、感性が生み出す付加価値であり、そしてもっともキャッチアップの難しいのが感性なのである。
感性は弱肉強食の市場原理からは生まれない。
もともと明治中期ぐらいまでの日本は、絹織物や蒔絵、浮世絵や陶器といった日本独自の文化を持っていた。ところが20世紀に入った頃から西洋化が激しくなり日本人が本来持っていた文化や感性が失われていった。だから単に元に戻ればいいのだ。日本人はイタリア人にはなれないけれど、世界に通用する感性を本来持ってるのだ。そしてそれを生かすような産業を考えればいいのだ。
環境に優しいとか最新のIT技術を搭載という機能的な付加価値もよいが、やはり大切なのは我々を惹きつけるデザインやスタイルであり、作り手の感性が感じられるもの自体の佇まいではないだろうか。
うんうん、非常に理路整然としていて共感できます。
新技術はマネされるのも早く、最後は労働力の安い国に流れ価格競争になりますが
キャッチアップ(追いつく)されにくい感性で勝負することが
日本のビジョンになるといいですね。
by kikawadesign
| 2013-04-29 12:13
| books